Mar 22, 2009
アンチエイジングが気になり始めている
これで、アンチエイジングという言葉が気になってきたのが年頃です。実際の年齢よりはるかに若く見られることが多く、それが良い自分はまだ関係ない、本当にように動作しているが、内心はかなり気になっています。目元の小じわ、口元とまぶたの床、等。アンチエイジング、誰にも内緒でこっそり研究を開始しますか。シミ、そばかすに悩んでいたので、フォトフェイシャルを体験しました。目に光が入らないようにカバーの黒い部分に反応する光を顔全体に適用されます。汚れが一時的に濃くなりましたが、その後1週間程度で元々あったシミが薄くなっていたことに驚きました。三、四回の場合目に効果があるということで、通おさせていただきます。フォトフェイシャルをすることで、顔の手入れをきちんとするようになったのも良かったと思います。
女優、水野美紀(36)が女優、ともさかりえ(31)の元夫で演出家兼俳優、河原雅彦(41)と交際していることが9日、分かった。10日発売の女性週刊誌「週刊女性」が報じている。
【写真で見る】元妻、ともさかりえにも熱愛報道が…
同誌は、水野が今月4日、東日本大震災の被災地でボランティア活動から都内の自宅に帰宅するや、30分後に着替えて外出する姿をキャッチ。タクシーで河原の自宅前に到着すると、エントランスで待ち受けた河原と手をつないで部屋に入るラブラブショットを激写した。2人は朝まで一緒に過ごしたという。
河原はバツイチで、ともさかとの5年半の結婚生活で長男(6)をもうけ、08年末に離婚した演劇界の奇才。水野とは06年夏に舞台「開放弦」で初共演した。
当時、水野は俳優、北村有起哉(37)と交際中だったが、翌07年春に破局していたことが発覚。同年、河原と2人芝居で再共演し、急接近。舞台を通じて絆を深めながら、河原がともさかと離婚後に真剣交際へと発展。約2年間、密かに愛を育んできたようだ。
サンケイスポーツの取材に双方の所属事務所は「ノーコメント」と話し、交際については肯定も否定もせず。
一方、河原の元妻、ともさかも昨夏、歌手のスネオヘアー(40)との熱愛が発覚。長男を含めた家族ぐるみの真剣交際を続けており、どちらが先にゴールインする?!
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人気声優、平野綾(23)が9日、河村隆一(40)が主演する「嵐が丘」(演出・西川信廣)でミュージカルに初挑戦することになり、会見を行った。孤児とその恋人の純愛物語で、安倍なつみ(29)とWキャストでヒロインを務める。平野が「キスシーンって本当にするんですか?」と質問すると、河村は「表向きはしますよ。本当にするかは分からないけど」。共演の山崎育三郎(25)は「ガッツリします」。7月11日から東京・赤坂ACTシアターで。
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日本映画界のドン、死す−。「仁義なき戦い」などの任侠(にんきょう)映画や数々の時代劇映画をヒットさせた東映の名誉会長、岡田茂氏が9日午前5時55分、肺炎のため東京・練馬区の順天堂大医学部附属練馬病院で死去した。87歳だった。高倉健(80)や菅原文太(77)、富司純子(65)ら大スターを育て、卓越した指導力で映画界を牽引した最後の大物だった。
映画製作に心血を注ぎ、数々の名作や大スターを生んだ岡田氏。昭和、平成を通じて、人生そのものが映画の歴史に重なる傑物だった。
東映によると、2年ほど前からひざが曲がらないなど両足の具合が悪化。それでも、車いすで東京・銀座の東映本社に出社していたが、1年ほど前から自宅療養と通院に専念していた。
ところが、先月、肺炎にかかり、中旬から入院。最期は夫人の彰子(あやこ)さん(85)、長男の元俳優で現東映社長の岡田裕介氏(61)ら家族に見守られて彼岸へ旅立った。
第2次大戦終戦から2年後の1947年、東大経済学部を卒業。同年、東映の前身である東横映画に入社し、一貫して映画製作の現場を歩んだ。20代で「日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声」を初プロデュース。51年の東映設立後、28歳で京都撮影所製作課長に抜てきされた。
その後、京都、東京撮影所の所長を歴任。「宮本武蔵」「五番町夕霧楼」のほか、故鶴田浩二の「人生劇場・飛車角」や高倉健の「昭和残侠伝」、藤純子(現富司純子)の「緋牡丹博徒」などのシリーズもので任侠路線を確立。菅原文太を起用してやくざの抗争を描いた「仁義なき戦い」をシリーズ化して実録路線として定着させた。
71年から93年まで社長を務めた後、会長、相談役を経て2006年に名誉会長。日本映画製作者連盟の会長なども務め、邦画の復興に尽力した。元部下の東映顧問、樋口保氏(70)がこの日、同社で会見。生前の人柄を偲び、「たいへん厳しい人で、ものすごく怒る。でも、必ずフォローする優しさを持った人でした」と振り返った。
実際、若いころから直情型で、48年の映画「金色夜叉」に製作進行係として撮影に立ち会った時、エキストラのトラブルに巻き込まれ、やくざと大立ち回りをした武勇伝も。60年代の東京撮影所所長時代にはベテラン監督を切り、故深作欣二、降旗康男(76)ら当時の若手を起用。「映画の本質は3つある。泣く、笑う、手に汗にぎる、だ。この3つの要素がないと映画は当たらん」と叱咤激励した。
映画スターも製作スタッフも、持ち前の情熱で育て上げた生粋の映画人だった。66%OFF 出会いのご案内
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